
独りでフラリと、18時半過ぎにいらっしゃいました。
例によって東生園、今宵は餃子だけ。
「お前(僕)、少しスケてくれ」
5つの餃子の3つを僕、師匠が2つ。
のり弁の後だけど、師匠の餃子とあらば喜んで頂きます。
また、師匠も食欲のある様子がヨウガス!
「キウイ、お前、圓朝について、知ってること言ってみな」
ガラガラガラガラガラガラガラガッシャーンンッ!
頭の中に雷がドガチャカで、煙がモウモウ、何も分かりません。
師匠の前で何かを喋ることほど、こんなにパニクるものはないのです。
「え、圓朝師匠はですね・・・・・」
お前、何年落語家やってんだよっ!と突っ込みたくなるような、タドタドしくて、ぎこちなくて、稚拙な説明をしてました。
三遊亭圓朝とは落語界の永久欠番というか、すごい大きな名跡で、落語界の中興の祖、落語の神様とも崇められてる、江戸から明治初期に活躍した伝説の名人の師匠です。
「…最終的には“無舌(むぜつ)”を悟られたそうです」
無舌とは、大圓朝は晩年、高座で喋らずして噺を語ったという伝説があるんですよ。
「無舌ってもなぁ…。じゃあ、どこで喋ればいいんだよなぁ…?喉か?脇腹か?」
そんなことを聞かれても、僕、答えようがありません。
「そ、それは、志ん生師匠が高座で寝たのをお客さんが喜んだのと同じように、もう、そこにいるだけで充分という、そういうことではないのでしょうか…」
必死の思いで、そう伝えたら、師匠は言いました。
「そりゃ違うな。そういうんじゃない。それじゃ俺が高座で寝っ転がるみたいなもんだ。それにな、志ん生はな、あれは分かってて寝たんだ。ウケ狙いの確信犯で、計算してやったんだ。それを楽屋噺で誰かが大袈裟に喋ったんだ」
師匠にかかると、志ん生師匠の伝説も、とても身近なものに感じられます。
そうか、やはり確信犯かぁ…。
「芝浜だってなぁ…。本当に圓朝が作ったのか?チャンと記録として残ってんのか?残ってねぇんだよ。そう、言い伝えられてきてるだけで、実際は分からねぇんだよ。本当は後の奴らが作ってったんだ。お前、圓朝が三題噺で芝浜をやった現場、見てねぇだろ?」
僕は昭和の産です。
江戸の頃はいません。
「だから圓朝ってのもな、本当はそんな大層なもんじゃねぇんだよ。そうだろ?」
「は、はいっ!」
今日から僕は大圓朝を大した師匠じゃないんだと思うことになりました。
「お前はな、こんな落語やってりゃいいんだ。こんな落語!」
師匠は奇妙なポーズをとって、そう言いました。
どう前向きに捉えても、本格派の正当な古典落語をやれという意味ではないでしょう。
そして20時過ぎに、少しまだ足取りはおぼつかないものの、気迫は復活しつつある感じで、お帰りになりました。
師匠は無敵です。
志ん生師匠も大圓朝も敵ではないみたいです。
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